緑区の昔〜
ルネッサンスフォーラムの皆さんが編集発行している季刊紙
「緑歴史ひろば」
歴史の会の皆様が編集発刊している季刊誌
「歴史の会会報」
続々と発刊されています。
Ebisuに新刊置いてあります!!!興味の有る方はぜひどうぞ!お立ち寄り下さい!
発刊編集員の皆さんが足で集めた資料、面白くて貴重です。
※緑区内 49の神社を訪ねてみました。 ( )の中は大まかな住所です。 緑区旧鳴海町 22社
大高町 19社
有松町 8社
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鳴海・有松・大高地名ガイド《あいうえお順》
この資料は名古屋市緑区にある鳴海中学で社会科をお教て頂いていた、
山村幸雄先生により集められた資料より、掲載させていただきました。
緑区内の区画整理の流れで既に存在しない町名が多くなっています。 残念です。
※地名について、他の呼び方、意味、これはおかしいよと思うことが有りましたらどしどしメールでお教え下さい。
相原郷(あいばらごう) 「粟飯の原」「藍の原」「相原」とかわっていった地名である。 相原町(あいばらまち) 相原から超して来た町で宿地よりの引っ越しもあった。相原町の地名が出来るまでは一円を中島と呼んでいた。 有松(ありまつ)かっては松が生い茂っていたと言う説、江戸初期の新しい町「新町(あらまち)」が転じたものと言う2説がある。 有松裏(ありまつうら) 「有松浦」とも書く。有松の北。「裏」は裏に湾と同じ意味で北を表す。 赤塚(あかつか) 大塚の南に有る塚。赤土の塚。赤塚の有る所。 赤松(あかまつ) 赤松が生えている所。 雷(いかづち) 雷が度々落ちたので、雷社を建て雷神を祀った。 池上(いけがみ) 新海池(にいのみいけ)の周辺の地名であるが、水源の堀越川一帯を多く含み、新海池の上の意で言う。 池下(いけした) 新海池(にいのみいけ)の下の意で、真池川が流れ田であった。 石神堂(いしがみどう) 「石神戸」「いしかめと」滝の水の入り口。 石田(いしだ) 石の多い田。 石畑(いしはた) 石の多い畑 。 石堀山(いしぼりやま) 石を掘っていた山。 一色(いっしき) 少し高い川底で、砂礫地を言う。古くは鳴海潟の入り江「いしき」。 上中(うえなか) 中島を上下に分割した地名「うえなかまち」「かみなかまち」。戦国時代には、駿河衆が住んでいた。 上ノ山(うえのやま) 一段高くなった山。「上野山」。 後山(うしろやま) 相原村の後ろの山。緩斜地あり多くは山で鳴海村の定納山であった。 姥子山(うばこやま) 「ヲバコ山」姥神信仰に依る地名。 漆山(うるしやま) 漆が採れた山。 会下( えげ )瑞泉寺近く。会下寺と称え、地名会下とした会下号は上級の寺格を表す。《コバチンより》 大池下(おおいけした) 大池の下。大池は赤松大池。 大形山(おおがたやま) 鳴海にて、もつとも高く見える山(標高44.4m)山の形から命名。 扇川(おうぎがわ)昔は黒末川と言われた時代も有る。緑区の真中を木の葉の葉脈のように流れる名古屋市で一番奇麗な川である。 大熊(おおくま) 天白川が大きく曲る所。「曲(くま)」と同じく「熊」は屈曲の意。 大清水(おおしみず) 大きな清水が湧く所。 大高(おおだか)以前は「火高」といっていたが、火災が相次いだため変えたのだという。(月刊グリより) 大根(おおね) 大きな尾根が由来。 尾崎山(おざきやま) 尾崎ヶ根より変わった。尾根が目立つ尾崎ヶ根山。 御茶屋(おちゃや) 東海道筋で御茶屋の有る所。「御茶や」として新田の畑。 乙子山(おとこやま) 日本武尊を祀る山。字城に成海神社が有った時は、その地を「おとこやま」呼んでいた。 鏡田(かがみだ) 「鏡田池」の有った所。 柿ノ木(かきのき) 「柿木山」江戸時代には今より広い面積で柿ノ木が生えていた。 杜若(かきつばた) 古鳴海街道沿い池より小川が流れる。この池に杜若が奇麗に咲いていた。 鉤の手(かぎのて) 「曲尺手」(かねのて・かねんて)の別称。「鍵の手」とも言う、東海道が鍵の手状に折れ曲っている所。各地で見られる、敵の侵攻を防ぐため、わざと道を曲げたもの。 籠山(かごやま) 「かこ山」欠山と類意する意味で崖の有る山。 片坂(かたさか) 「片阪」片側が傾斜地になっている所。 片平(かたひら) 片側が傾斜地になっている所。鉾の木西側が崖で片側が斜面になっている。 上焼田(かみやけた) 「慶長13年(1608年)鳴海村検地帳」に「やけた」とある稲の日焼けする意味と思われる。 亀ケ洞(かめがぼら) 亀が棲む谷。「洞」は水の少ない短小で奥詰まりの谷。明治初年、隣りの鶴ケ沢と対となって亀を採用。 栢の木(かやのき) 榧の木が生えている所。 鎌研(かまとぎ) 山へ下草を刈りに行くとき、鎌を研ぐところ 。旧東海道鳴海と有松の境に「釜研橋」が有ります。 上旭出(かみあさひで) 信長が桶狭間に向かう時に鳴海の北の山を迂回したとする考えに基づく伝承の地。旭出(朝日出)を上中下に分割。一番上の緩斜地 上澤(かみさわ) 神領田の有る沢? 上汐田(かみしおた) 海が陸化して田となった所で、製塩が行われた事により付いた名ではない。上汐田・中汐田・下汐田は潮の満ち引きでの水の流れにより付いたものと思われる。昔の鳴海潟の一部。 上捨貫目(かみじゅつかんめ) 「じふくわんめ」十貫文の田、一貫文は田地約五反分。十貫文は石高で五石で有る。上下に分れたもの。 神の倉(かみのくら) 神のおはします所。 神の倉(かんのくら)。神は熊野社のことを言う。鳴海町の付く住所には(かんのくら)と言うのでは? 亀井(かめい) 亀井と言う泉の名に基づく。 枯木(かれき) 枯木が生えている所。(緑区浦里2丁目へと町名変更され現在は存在していません)。 北浦(きたうら) 鳴海城の北裏側。一名を横町。 京田(きょうでん・きょうだ) 「経田」読経料として寺へ寄付した田。鳴海八幡宮へ寄進した田が有る。 熊ノ前(くまのまえ) 熊野社の前。熊野山前の略。 繰穴(くりあな) 黒石(くろいし) 黒い石が有る土地。一帯が御林(おはやし)であった。 光正寺(こうしょうじ) 光正寺という寺が有った事に因む。 鴻之巣(こうのす) こうの鳥の巣が有る山。 鴻仏目(こうぶつめ・こうふつめ)慶長十三年鳴海村検地帳に「こふふつめ」とある鴻仏目のほか光仏目、鴻夫爪とあり本来は清音である。 小組邸(こくみやしき) 字古鳴海の別称。古鳴海を小鳴海と書き略して組を付け「小組」と言う。 小坂(こさか) 小さな阪の有る所。 古鳴海(こなるみ) 「小鳴海」と混用。古くから鳴海の一部。鳴海村の支郷、(支村)。 小松山(こまつやま) 小松の生えている所。 米塚(こめづか) 円墳(塚)が有った所。 小森(こもり) 沼地。藤川の南で、水たまりをコモリとも言う。 栄松(さかかえまつ) 村栄の松。五軒屋新田(新村は間米村)と鳴海村との境を示す松。 左京山(さきょうやま) 左京の持ち山の意。 作の山(さくのやま) 字池下の谷を「作」と言い、作に続いた山。 作町(さくまち) 佐久間が住んでいた町佐久間信盛の屋敷が有った所、「佐久間町」 笹塚(ささづか) 笹の生えた塚の有った所。 三王山(さんおうやま) 三王社を祀った山。山王山が正しい。 三角(さんかく) 字下捨貫目南に愛知電気鉄道の線路が敷かれて扇川天白川が並ぶ辺りまで三角の田になった。もっとも新しい字名。 三高根(さんたかね) 「三太ヶ根」三太の尾根。 鹿山(しかやま) 「シシ山」鹿の棲む山。「シシ」とは鹿や猪の事を言う。狩猟の対象として動物を見て名付けられた。志賀衆が移り住み開墾を行ったことからとも。 敷田(しきた) 川原を田にした所。 篠之風(しののかぜ) 「しなのかぜ」「しののかぜ」「しりなのかぜ」「尻野之風」 。 下旭出(しもあさひで) 信長が桶狭間に向かう時に鳴海の北の山を迂回したとする考えに基づく伝承の地。旭出(朝日出)を上中下に分割。 一番下の緩斜地 。 四本木(しほんぎ) 四本の木が生えていた所。 下捨貫目(しもじゅつかんめ) 「じふくわんめ」十貫文の田、一貫文は田地約五反分。十貫文は石高で五石で有る。上下に分れたもの。 下中(しもなか) 中島で別れる扇川と手越川の分れ一帯の間上流部分を言う。中島の砦が有った所。 下焼田(しもやけた) 「慶長13年(1608年)鳴海村検地帳」に「やけた」とある稲の日焼けする意味と思われる。上下は焼田が部渇されたものと思われる。 宿地(しゅくち)(しゅくぢ) 室町時代以前の東海道の宿駅の所宿がある所。 修理田(しゅりでん)(しるで) 社寺を修理するための費用に充てる田。 乗鞍(じょうあん) 「常安」古くは元林(もとはやし)元林山。 城(しろ) 鳴海城の有る所。「き、じょう」「きのもと」とも言われる。 白土(しろつち) 磨き砂を取っていたので白土と言う。「白土山」。 神明(しんめい) 神明社の鎮座する所。 砂田(すなだ) 扇川の川端で砂の入る所。 諏訪山(すわやま) 諏訪社の有る山。 清水寺(せいすいじ) 清水寺の寺名に因る。 前之輪(ぜんのわ) 善之庵「支村善之庵は村民善の輪と呼ぶがごとし」とある。 善明寺(ぜんみょうじ) 善明寺の有る所。 仙人塚(せんにんつか)豊明にある地名で、以前は「戦人塚」桶狭間の合戦で戦死者がうめられていたからで、それを示す塚も残っている。宅地開発が進み「戦人」では都合が悪くなり「仙人」変えられた。(月刊グリより) 曽根田(そねだ) 石ころの多いあまり良い土地ではなかった事によって付いた。 大将ヶ根(たいしょうがね) 大将が旗を上げた尾根。太子ケ根が大将ケ根に変化した。太子ケ根、太子が根、太子賀根と呼ばれた。 高根(たかね) 「高根山」高い尾根。海抜60.6m鳴海山28峰の一つ。高峰から名付けられた。 高田(たかだ) 高畦を作る深田。 滝の水(たきのみず) 滝の水が流れる所。湿地帯が有り奇麗な湧き水が多く湧いていた。 蛸畑(たこばた) 高い所の畑。田子(たっこ・たこ)高い所の畑の意味。昔浜辺の人がこの地で蛸を釣ったと言われる昔話が有る。 丹下(たんげ) 台地。字清水寺の高台を指し低地にも広がった。「丹家」。 長田(ちょうた) 「ちゃつた」1町の区画の田「長」は「町・丁」の宛字。 辻(つじ) 道の交差する所。矢切から相原村への道と、作の山から万福寺方面への道が交叉している所。 鶴ケ澤(つるがさわ) 鶴の居る低くて草の生えた湿地。川や水路の有る低地。 手越(てごし) 桶狭間の合戦時、土地の百姓が手越しと答えると信長が喜んだ。自分の手下が相手を越えて勝つと縁起を担いだ、相手の手(作戦)を上回る意。伝承。 伝治山(でんじやま) 「伝次山」「田知山」「田地山」 天白(てんぱく) 天白川沿いの地。 通曲(とおりがね) 「通りヶ根」通り道の尾根。鳥居ケ根と呼ばれていた。この辺りに鳥居が有った。 徳重(とくしげ) 14世紀得重保が鳴海荘の東に有った。「保」とは国衛の管理下、地方の有力者が開墾した土地。 鳥澄(とりすみ) 「鳥住」鳥が群棲する所。江戸時代には鳴海村と相原村の入会になっていた。 砦(とりで) 「絶頂地」字砦の別称。山の頂きの所。善照寺の訛伝で「絶頂地」。桶狭間の合戦に出てくる、善照寺です。 中旭出(なかあさひで) 信長が桶狭間に向かう時に鳴海の北の山を迂回したとする考えに基づく伝承の地。旭出(朝日出)を上中下に分割。 朝日の出る所の中央部分。 中汐田(なかしおた) 汐田を上中下と三分割した。潮気の有る田の中域。 中新田(なかしんでん) 中ほどに田窪が有った所。 中根(なかね) 中の尾根。 長根(ながね) 長い尾根。 七双子(ななぞうし) 「七そうし」。 鍋山(なべやま) 鍋のような形の山。 鳴海(なるみ) 成海郷・奈留美(万葉仮名)。海岸に近く、海鳴りや波の音にまつわる。「ナルミナ」と言うアイヌ語(穏やかな海の意味)。奈良時代には現在の鳴海町から南区を含み、熱田までの海岸を「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ぶ。平安時代以後、鳴海潟、鳴海浦と称する。 西川原(にしかわはら) 村の西の川原。旭出川の川原。 西熊(にしくま) 川が西で折れ曲がる所。 西脇(にしわき) 西の脇の所。 根古屋(ねごや)(ねこや) 下級武士の住む所「根小屋」城下の村、城にもっとも近い地域に多く有る地名。江戸時代には本陣が有った。 白山(はくさん) 白山塚(しろやまつか)は大塚、赤塚と同じく古墳である。字白山は白三社に因む。 花井町(はないちょう) 鳴海城下、清水の湧く花井井戸が有った。 半の木(はんのき) 榛の木の生えている所。町名改正にて若田になり、残念ながら、この響きの良い町名を聞くことはなくなってしまう。 平子(ひらこ) 傾斜地で有った事により付いた名。 平手(ひらて) 傾斜地の意。 平部(ひらぶ) 手越川の北側に位置し鳴海宿の江戸側の入り口、平地の意味。 廣湫(ひろくて) 広い谷間の湿地「くて」は湿地沼地を言う。 藤川(ふじかわ) 富士川の流れる所。 藤塚(ふじづか) 富士塚が有る所。富士山に似た塚。古墳が桶狭間合戦の戦死者を埋葬したと伝承。 文木(ぶんぎ) 「ふんき」「分木」地境を示す木があった。 兵庫(ひょうこ)(へいこ) 東郷町春木の兵庫に続く。 坊ヶ墓(ぼうがはか) 坊主の墓があった。ことに由来 。 坊主山(ぼうずやま) 坊主の頭のような形をして、木の生えていない禿げ山。 鉾の木(ほこのき) 鉾を掛けた木。日本武尊が休憩をした所。 細口(ほそぐち) 山と山とに挟まれた細長い谷のような所。 細根(ほそね) 細い尾根の所。 螺貝(ほらがい) 「洞貝」「洞谷」「ほらかい」短小で奥詰まりの谷。「ほら」は水が少なく小さな行き止まりの谷。 「かい」は 山と山との狭間のこと。 保呂後(ほろご) 「ほろのうしろ」「ふろのうしろ」諏訪社の森の後ろ「ほろ」は神社の森。 本町(ほんまち) 中心となる町を意味する。町の中心を意味するが、脇本陣が有ったことから考え根古屋の次ではないかと思われる。 丸内(まるち) 丸く囲まれた土地。 万場山(まんばやま) 「ばんばやま」が転訛。崖の有る山。 三皿(みさら) 「御皿」鳴海東部の窒で作った、焼き物の集積地。 三角(みつかど) 字作町の三つ又路の通称。大浜街道基点で(大正13年頃)以降そう呼ぶ。礼の辻は四つ角という。 水廣下(みずひろげ) 水広げ田面。 明願(みようがん) 「みゃうがん」とも言う。 向田(むかいだ) 村の向へ側に有る田んぼ。 最中(もちゅう) 「もっちゅう」田圃で百々川や最中川が流れていた。 森下(もりした) 成海神社の森の下。神社より低い所に位置する。 諸之木(もろのき) 杜松の生えている所。杜松「ねず」の別名「むろ」「もろ」杜松は杖の材料としてよく使われる。 矢切(やきり)(やぎり) 川岸の地名、最中川の上流? 薬師山(やくしやま) 「明和7年本多新田名寄帳」(1770年)に見え。薬師堂(現在の桂林寺)がある山。 焼山(やけやま) 一部が焼禿げた山。 八ッ松(やつまつ) 八本松が生えている所。 山下(やました) 山王山の下。古くは「やまのした」。 山ノ上(やまのかみ) 山神社ノ有る所。 横吹(よこぶき) 風が横に吹く所。山地や丘陵に命名。「東の山に横吹」。 嫁ゲ茶屋(よめがじゃや) 鎌倉街道の道筋。茶屋ゲ峰に茶屋有り嫁の居る茶屋。 柳長(りゅうちよう) 柳の長(やなぎのおさ)。柳の木の生えている田。「長」は田の一区画を意味する。 六条(ろくじよう) 「六てう」条里制で6番目の条。古代より行われた地割の制。この一帯はとても良い田であったと言われている。 六田(ろくでん) 町名。人造地名で昭和50年頃までは六条と呼ばれていた。鳴海中学が今の地に移ったときには六条であった。 若田(わかた) 「元禄(1693年)本多新田名寄帳」に見える。若田の南半分を薮下と言う1557年今川義元が社領を安堵。 早稲屋(わせや) 「はやせ」とも有る。「慶長13年(1608年)鳴海村検地帳」。 参考文献 「名古屋の町名」名古屋市 「緑区の史跡」鳴海風土会、榊原邦彦著 「緑区の歴史」愛知県郷土資料刊行会、榊原邦彦著
まだまだいっぱい有りますが、一先ずここまでm(_ _)m、更新大変です(;^_^A アセアセ・・・。 緑区の地名で「こんな地名が有る」「こんな読み方が有るりますよー」「こうゆう言い伝えを聞きました!。」等有りましたら。掲示板又はebisu@grape.plala.or.jp までEメールでお聞かせ下さい。よろしくお願いします。 |
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